食材のこと
うま味調味料は、本当に悪なのか?
いつの時代もその善悪が議論になる、「うま味調味料」(化学調味料)。
料理にこだわる人ほど、避けがちな言葉。
「うま味調味料」という響きが、一気に拒絶反応を引き起こす。
でもね、ちょっと立ち止まって考えてみませんか?
料理人でも分かれる「うま味調味料」へのスタンス
情熱弁当は、ご存知の通り化学合成の食品添加物不使用。
なので、うま味調味料の類は使いません。
素材と出汁の組み合わせで、十分美味しい味を作れる技術があります。
ボクのライフワーク「素材本来の味を後の世に伝えよう」の具現化が情熱弁当。素材のうま味に、厚化粧的なうま味添加はいらないもの。
かつて一緒に働いたことのある、名古屋市の老舗料亭出身の料理人。
支店でも料理長経験のある方がいました。
一緒に新店を立ち上げた時。
彼が一番最初に発注した食材は、なんと「味の素10キロ箱」でした。
ボクが勤めた複数の日本料理店では、うま味調味料の小瓶(家庭用サイズ)が1個程度調理場にありました。が、まず使うことはありませんでした。
情熱弁当は、素材の力そのままで勝負しています。
でも一方で、うま味調味料を断定的に「悪者」扱いしてしまうのは、
ちょっと乱暴だなと感じることがあるのです。
料理人の世界でも「許容して多用する派」と「完全に使わない派」、
この両極端なスタンスが共存しているのが、まさにうま味調味料という存在なのです。
正解は一つじゃない。
立場や目的、そして誰のために料理をするかで、判断は変わるんですよね。
うま味は“生きる”を支える
これは個人的な話ですが、昨年亡くなった父。
病名は誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)でした。
飲み込む機能が低下した結果、食べ物や唾液が誤って気管に入り、肺炎を引き起こす病気です。
高齢になると、食べるという行為そのものが難しくなる。
「咀嚼し、味わい、飲み込む。」
若い私たちが何気なくできていることが、ある日突然できなくなる。
そんなとき、「うま味調味料」は、非常に役立つ道具になります。
舌にある味蕾(みらい)細胞。
味を感じるこの細胞を、うま味調味料が刺激する。
すると唾液の分泌が促され、食べやすく、飲み込みやすくなるのです。
「うま味調味料で人生が豊かになる」なんて言うと大げさかもしれません。
人生のカウントダウンが始まっている人の、食の楽しみを少しでも取り戻すことができるなら。
それは立派な福祉のひとつかもしれない、とボクは思います。
自然派こそ、もっと多面的であれ
無添加にこだわる人たちのなかには、
「うま味調味料なんて論外」と言い切る方もいます。
でも、ボクが思う自然派って、もっとおおらかで、
もっと多様性を受け入れるものじゃないのかなと。
自然派であることと視野が狭いことは、イコールじゃない。
むしろ、多面的な視点を持つことこそが「自然の摂理」に近いんじゃないか。
「自分の正しさ」が唯一無二の正義になったとき。
人は知らぬ間に、他者を裁くようになります。
その物差し、本当に自分で選びましたか?
ただ、正しい側にいたいだけじゃありませんか?
白か黒かじゃなく、グラデーションで見る力を
今の世の中、「仮想敵」を作った方が話題になりやすい。
「◯◯は危険!」「△△は毒!」
そんな言葉のほうが、人は反応してくれる。
でも、それって本当に健全なんでしょうか?
白か黒かで切り分けるのではなく、
「この人にとっては、こういう理由で便利なんだな」
そんなふうに、少し引いた視点で見ることで、社会のQOLは上がる。
それは、料理の世界にも言えることです。
料理は「正しさ」よりも「優しさ」で
うま味調味料を、積極的に肯定したいわけではありません。
でも、否定するだけで終わってしまうのは、もったいない。
どんなものにも「使いどころ」と「存在意義」はある。
料理は、情報戦でも、正義の競争でもない。
誰かが、誰かを思って、
愛情をかけて作るもの。
その原点を、ボクは大切にしたいのです。
「みんなちがって、みんないい」
うま味調味料をめぐる話題が、
そんな優しいまなざしを取り戻すきっかけになりますように。
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