食材のこと
食へのリスペクト
料理人として長年、調理場に立ち続けています。
いつも心の真ん中にある大切な言葉があります。それは「食へのリスペクト」です。
リスペクトというと少し堅苦しく聞こえるかもしれませんが、難しいことではありません。
それは、食材そのものへの敬意。
そして、その食材を大切に育ててくれた農家さんや漁師さんへの感謝。
さらに、おいしいと笑顔で食べてくださるお客様への感謝。
この「ありがとう」の気持ちが巡り巡っていくことで、食はお腹を満たすものから、心豊かな食文化へ姿を変えるのだと、ボクは信じています。
食材は「存在」であり「つながり」
農家さんから送ってもらったキャベツを刻んでいるとき、ふと考えることがあります。
「この葉っぱは、昨日まで畑で風に吹かれていたんだなぁ」と。
たとえば、朝食にトーストを口にするとき。
たった一枚のパンの裏側には、小麦を育てた人、収穫した人、粉にした人、パンを焼いた人…たくさんの人々の営みと想いが重なり合っています。
食材は、単なる「モノ」ではなく、そうした「つながりの結晶」なんですね。
だからこそ、ボクは包丁を入れるその瞬間でさえ「命をいただく」という気持ちを忘れないようにしています。

感謝が紡ぐ「縁」
料理人は、食材とお客様をつなぐ「中継者」です。
大切に育てられた食材の思いを受け取り、それを料理という形に変えて、食べる人に届けます。そして、「おいしい!」と心から喜んでくださるお客さまの笑顔が、私たちにまた新たな力を与えてくれる。
このあたたかい循環があるからこそ、食は「ただの栄養摂取」ではなく、「人と人をつなぐ、かけがえのない場」になるのです。
家族と囲む夕食や、友人と語り合う鍋パーティー。
そこに笑い声が生まれるのは、ただお腹が満たされるからではありません。食材と、それをつくった人、そして共に食べる人への感謝や思いやりが、その場を満たしているからなのですね。
敬意を忘れたとき、食は「餌」になる
しかし、最近は少し残念に思う光景に出会うこともあります。
人気のレストランで予約をし、料理はほとんど残す。写真や動画だけ撮って帰ってしまう人。「インスタ映え」や「人気店の予約が取れた自慢」だけに存在した料理は、一体誰の命を輝かせたのでしょうか。
食べられずに残されてしまった一皿のことを思うと、胸が締め付けられます。
食は本来、私たちの心と体を養うものです。そこに敬意が失われてしまったとき、それは文化ではなく、ただの「餌」になってしまうのではないでしょうか。
自由には責任が伴う
今の時代、私たちはとても豊かな食生活を送っています。
スーパーに行けば旬の野菜も、遠い国から運ばれた珍しい果物も、簡単に手にすることができます。
街の飲食店に入れば、和食も洋食も好きなものを選び放題です。コンビニだって24時間営業。時間を気にせず食にありつけます。
けれど、その自由には、必ず責任がついてきます。
それは、おいしく残さずいただくこと。ただの流行りではなく、きちんと心を込めて味わうこと。
子どもの頃、お母さんに「お茶碗にご飯粒を残すと目がつぶれるよ」なんて言われたことはありませんでしたか?
あれは迷信ではなく、「食べ物を粗末にしてはいけない」という、私たちへの大切な教えだったのかもしれません。
自由に選んで食べられる今の時代だからこそ。
その食べ物一つひとつに向き合う私たちの態度が、より一層問われているのだと感じます。

食は、その人の生き方を映し出す
「食べ物をどう扱うか」は、そのまま「命や自然や人との関わりをどう考えるか」という問いにつながっています。
一食一食への向き合い方は、その人の生き方そのものを映し出す鏡なのかもしれません。
だからこそ、ボクはこれからも、
食材に、それを育ててくれた人に、そして、食べてくださるお客様に。
心からの敬意と感謝を込めて向き合い続けたいと思います。
それが、料理人としてボクが大切にしている「食へのリスペクト」です。
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