情熱弁当
こだわっても、とらわれない
イケメン店主のボクが、情熱弁当のことを自分から、こだわりの弁当屋ですと紹介することは、まずありません。
もちろん、大切にしている基準はあります。
国産食材を9割以上使うこと。
有機栽培や自然栽培、特別栽培の野菜を選ぶこと。
肉や卵、魚も、薬品に頼らない飼育のものを選ぶこと。
化学合成の食品添加物を使わないこと。
白砂糖に頼らず、昔ながらの調味料を大切にすること。
早朝に市場へ足を運び、自分の目で食材を見る。
情熱イケメン農園で、自分で野菜も作ってみる。
そんなこともありますが、情熱弁当では特別なこだわりとはあまり思っていません。ボクにとっては、日常だからです。
料理を作る者として、
お客さまに食べてもらうものを扱う者として。
できる限り正直でいたい。
ただ、それだけです。
最近はどこを見ても、こだわりという言葉をよく見かけます。
こだわりの食材。
こだわりの製法。
こだわりの味。
本当に真剣に向き合っている人も、もちろんたくさんいます。
でも一方で、その言葉を添えるだけで、なんとなく価値が上がったように見せているものもあります。
だからこそ、ボクはこの言葉を少し慎重に扱いたいと思っています。
こだわること自体は、悪いことではありません。
細かいところまで目を向ける。
自分なりの基準を持つ。
簡単に流されない。
これは料理を作る上でも、商売を続ける上でも、とても大切なことです。
でも、こだわりには怖さもあります。
こだわりすぎると、それしか見えなくなる。
他人の意見を聞けなくなる。
自分と違う考え方を、間違いだと決めつけてしまう。
そうなると、こだわっているのではなく、とらわれているだけなんですよね。
この違いは、頑固と意固地の違いにも似ている気がします。
頑固というのは、自分の中にひとつの考え方や信念があって、それを生き方として貫いていくこと。
簡単に流されない。
目先の損得だけで曲げない。
時間がかかっても、自分が正しいと思う道を歩き続ける。
情熱弁当で言えば、無添加を大切にすること。
素材本来の味を大切にすること。
できる限り正直な食材を選ぶこと。
こういう部分は、ある意味で頑固に守ってきたところです。
でも、意固地は違います。
意固地というのは、人の意見を聞かないこと。
自分と違う考え方を受け入れないこと。
一人よがりに物事を進めてしまうこと。
これは信念ではなく、ただの思い込みです。
頑固には軸があります。
意固地には余白がありません。
ここは、ボク自身も気をつけたいところです。
情熱弁当はこうだから。
ボクはこう考えているから。
昔からこうしてきたから。
そう言い続けるだけでは、お客さまの声も、世の中の変化も見えなくなってしまいます。自分の正しさに酔ってしまう。
気づいた時には、独りよがりな商売になってしまう。
こだわっているつもりが、ただ意固地になっていただけ。
そんなことにはなりたくありません。
ボクにはボクの考えがあります。
情熱弁当には、譲りたくない基準があります。
でも、それを振りかざして、他の考え方を否定する人間にはなりたくありません。
自分の軸は持つ。
でも、耳はふさがない。
守るべきものは守る。
でも、変えるべきところは変える。
頑固ではありたい。
でも、意固地にはなりたくない。
こだわっても、とらわれない。
これは料理だけでなく、仕事でも、家庭でも、人との付き合いでも、大切なことなのかなと思います。
皆さんはどうでしょうか?
自分の大切にしているものが、いつの間にか自分を縛っていることはありませんか。
こだわりは、自分を支えてくれるもの。
でも、とらわれになると、自分の視野を狭くしてしまうもの。
たまには少し立ち止まって、自分の頭の中に余白があるかどうか、見つめ直してみる。そんな時間も、大切なのかもしれませんね。
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