こだわっても、とらわれない

2026/07/29

イケメン店主のボクが、情熱弁当のことを自分から、こだわりの弁当屋ですと紹介することは、まずありません。

もちろん、大切にしている基準はあります。

国産食材を9割以上使うこと。

有機栽培や自然栽培、特別栽培の野菜を選ぶこと。

肉や卵、魚も、薬品に頼らない飼育のものを選ぶこと。

化学合成の食品添加物を使わないこと。

白砂糖に頼らず、昔ながらの調味料を大切にすること。

早朝に市場へ足を運び、自分の目で食材を見る。

情熱イケメン農園で、自分で野菜も作ってみる。

そんなこともありますが、情熱弁当では特別なこだわりとはあまり思っていません。ボクにとっては、日常だからです。

料理を作る者として、

お客さまに食べてもらうものを扱う者として。

できる限り正直でいたい。

ただ、それだけです。

最近はどこを見ても、こだわりという言葉をよく見かけます。

こだわりの食材。

こだわりの製法。

こだわりの味。

本当に真剣に向き合っている人も、もちろんたくさんいます。

でも一方で、その言葉を添えるだけで、なんとなく価値が上がったように見せているものもあります。

だからこそ、ボクはこの言葉を少し慎重に扱いたいと思っています。

こだわること自体は、悪いことではありません。

細かいところまで目を向ける。

自分なりの基準を持つ。

簡単に流されない。

これは料理を作る上でも、商売を続ける上でも、とても大切なことです。

でも、こだわりには怖さもあります。

こだわりすぎると、それしか見えなくなる。

他人の意見を聞けなくなる。

自分と違う考え方を、間違いだと決めつけてしまう。

そうなると、こだわっているのではなく、とらわれているだけなんですよね。

この違いは、頑固と意固地の違いにも似ている気がします。

頑固というのは、自分の中にひとつの考え方や信念があって、それを生き方として貫いていくこと。

簡単に流されない。

目先の損得だけで曲げない。

時間がかかっても、自分が正しいと思う道を歩き続ける。

情熱弁当で言えば、無添加を大切にすること。

素材本来の味を大切にすること。

できる限り正直な食材を選ぶこと。

こういう部分は、ある意味で頑固に守ってきたところです。

でも、意固地は違います。

意固地というのは、人の意見を聞かないこと。

自分と違う考え方を受け入れないこと。

一人よがりに物事を進めてしまうこと。

これは信念ではなく、ただの思い込みです。

頑固には軸があります。

意固地には余白がありません。

ここは、ボク自身も気をつけたいところです。

情熱弁当はこうだから。

ボクはこう考えているから。

昔からこうしてきたから。

そう言い続けるだけでは、お客さまの声も、世の中の変化も見えなくなってしまいます。自分の正しさに酔ってしまう。

気づいた時には、独りよがりな商売になってしまう。

こだわっているつもりが、ただ意固地になっていただけ。

そんなことにはなりたくありません。

ボクにはボクの考えがあります。

情熱弁当には、譲りたくない基準があります。

でも、それを振りかざして、他の考え方を否定する人間にはなりたくありません。

自分の軸は持つ。

でも、耳はふさがない。

守るべきものは守る。

でも、変えるべきところは変える。

頑固ではありたい。

でも、意固地にはなりたくない。

こだわっても、とらわれない。

これは料理だけでなく、仕事でも、家庭でも、人との付き合いでも、大切なことなのかなと思います。

皆さんはどうでしょうか?

自分の大切にしているものが、いつの間にか自分を縛っていることはありませんか。

こだわりは、自分を支えてくれるもの。

でも、とらわれになると、自分の視野を狭くしてしまうもの。

たまには少し立ち止まって、自分の頭の中に余白があるかどうか、見つめ直してみる。そんな時間も、大切なのかもしれませんね。